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作 品 紹 介 ペ ー ジ |
91 |
豊かな人間とは、自身が富であるような人間のことであって、富を持つ人間のことではない |
カール・マルクス |
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1818年〜1883年。ドイツ・プロイセン王国出身の思想家、革命家。27歳でプロイセン国籍を離脱し、以降は無国籍。31歳でイギリスに渡って研究を続け、48歳で『資本論』を出版。社会主義に科学的な基礎を与えた。その運動と著作は、その後の社会主義運動、国際政治、思想に多大な影響を与えた。 |
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92 |
人生には価値があると信じなさい。その信念があなたの人生を価値あるものとするでしょう |
ウィリアム・ジェームズ |
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1842年〜1910年。アメリカの哲学者、心理学者。自由な雰囲気の家庭で育ち、大学卒業後、23歳で参加したブラジル探検で生物学に興味を持ち、ハーバード大学で学び直して教授となる。プラグマティストの代表。著作に『心理学原理』『宗教的経験の諸相』『プラグマティズム』などがある。 |
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93 |
自分が正しいと信じることをすればよい。しても悪口を言われ、しなくても悪口を言われるのだから |
エレノア・ルーズベルト |
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1884年〜1962年。アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家。リベラル派として高名であった。1946年、国際連合人権委員会委員長に選出される。人権委員会は世界人権宣言の起草に着手し1948年12月に国連総会で採択された。 |
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94 |
行うべきことを集中して行い続ければ、人生はとても単純で幸せなものになる |
ジェームズ・アレン |
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1864年〜1912年。イギリスの作家。父が強盗に襲われて死んだため学業を続けられなくなり、工場などで様々な仕事をして家族を支えた。トルストイの書物に啓発され38歳から著作に専念。代表作であるAs a Man Thinkethは自己啓発書の原点であり、現在も世界中で売れ続けている。日本でも50万部を超えるベストセラー。 |
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95 |
ことばをはかりの皿に載せるような事をせず、なんでも言いたい事を言うのは、青年の特権である |
森 鴎外 |
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1862年〜1922年。小説家、軍医、官僚。12歳で医学校予科に入学。19歳で本科を卒業後、軍医となる。22歳から5年間ドイツへ留学。陸軍軍医総監へと地位を上り詰めながら、文芸活動を続け「舞姫」「うたかたの記」「ヰタ・セクスアリス」「高瀬舟」「阿部一族」などの代表作を発表する。 |
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96 |
私は自立している。ひとりで生きていくことができ、仕事を愛しているから。 |
メアリー・カサット |
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1844年〜1926年。米国の画家・版画家。成人してからはフランスで生活することが多かった。独特の力強いタッチで、母と子の親密な絆を、さらに、女性の社会的および私的生き方を描き続けた。印象派の展覧会にも出品した。 |
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97 |
我々が出来ることは、今を生きることだけだ。過去には戻れないし、未来があるかどうかも定かではない |
宮澤 賢治 |
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1896年〜1933年。詩人、童話作家。農学校の教員となるが30歳で退職。昼は開墾、夜は読書と創作の生活をする。「羅須地人協会」を設立して農民芸術を実践。農業指導などに奔走するうち病に倒れ、37歳で死去。主な作品は『銀河鉄道の夜』『雨ニモマケズ』『農民芸術概論綱要』など。 |
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98 |
偉大な人々は目的を持ち、そうでない人々は願望を持つ |
パスツール |
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1822年〜1895年。フランスの生化学者・細菌学者。「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」という言葉で知られる。ロベルト・コッホと共に「近代細菌学の開祖」とされる。
分子の光学異性体を発見。またワクチンの予防接種という方法を開発し、狂犬病ワクチン、ニワトリコレラワクチンを発明した。 |
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東洋の女性は、地位の高い者はおもちゃ、地位の低い者は召使いにすぎない |
津田 梅子 |
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1864年〜1929年。女子教育の先駆者。幕臣の家に生まれ、6歳から12年間、また25歳から3年間、アメリカ留学。女子教育の重要性を自覚し「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を開校。身分にとらわれない女子教育を始める。長期の闘病後、64歳で死去。2024年より新五千円札の顔となる。 |
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100 |
どんなに洗練された大人の中にも、外に出たくてしょうがない小さな子供がいる |
ウォルト・ディズニー |
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1901年〜1966年。アメリカ合衆国のアニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、漫画家、実業家。ミッキーマウスをはじめとするキャラクターの生みの親。ディズニーリゾートの創立者。兄と共同で設立したウォルト・ディズニー・カンパニーは数々の倒産、失敗を繰り返すも、350億ドル以上の収入を持つ国際的な大企業に発展した。 |
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101 |
自分の人生の主人公になりなさい。あなたは人生で自分の望むどんなことでもできるのです。 |
プラトン |
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紀元前427年〜紀元前347年。古代ギリシアの哲学者。ソクラテスの弟子、アリストテレスの師。ソクラテスから問答法と、哲学者としての主知主義的な姿勢を学んだ。アカデメイアに学園を開設した。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。 |
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102 |
厭々する労働は人を老衰に導くが、生命の表現として自主的にする労働は、その生命を健康にする |
与謝野 晶子 |
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1878年〜1942年。歌人、思想家。少女の頃から小説、古典に親しむ。22歳で歌人・与謝野鉄幹と不倫の関係になり、のちに結婚。女性教育の必要性を説き、43歳で鉄幹らと文化学院を創設。『みだれ髪』『君死にたまふことなかれ』『源氏物語』の現代語訳でも知られる。 |
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103 |
人は誰でも、褒められることが好きなものだ |
エイブラハム・リンカーン |
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1809年〜1865年。第16代アメリカ合衆国大統領。「人民の人民による人民のための政治」という言葉は有名。奴隷解放等の業績が高く評価されている。一方、インディアン民族に対しては徹底排除の方針を採った。リンカーンの「人民」にはインディアンは含まれていなかったのである。 |
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104 |
最大の偉人たちは自己の判断を断固として信じた人であった。しかし最大の愚か者たちも同じである |
ポール・ヴァレリー |
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1871年〜1945年。フランスの著作家、詩人、小説家、評論家。多岐にわたる旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される。作品には『天使』『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』『ムッシュー・テスト』『若きパルク』『海辺の墓地』『精神の危機』などがある。 |
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105 |
失敗したら初めからやり直せばいい。そのたびにあなたは強くなれる |
アン・サリヴァン |
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1866年〜1936年。ヘレン・ケラーの家庭教師。9歳のとき母親を亡くし救貧院に入る。病気によって盲目となり盲学校に入り、訓練と手術の結果ある程度視力を回復した。21歳でヘレン・ケラーの家庭教師となる。ヘレン・ケラーは彼女のおかげで、目、耳、声の三重の身体障害を克服した。 |
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106 |
他人の欠点や愚行を探すような人は、間違いなく不幸になる |
ショーペンハウエル |
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1788年〜1860年。大学で哲学を学び、25歳で博士論文『根拠の原理の四つの根について』を、30歳で主著『意志と表象としての世界』を書く。芸術論・自殺論が有名だがその論考はあらゆるジャンルを網羅しており、仏教哲学、インド哲学も取り込んでいる。 |
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107 |
物質的な利益に意をもちいていられないような夢想家も、人類にとっては必要である |
マリ・キュリー |
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1867年〜1934年。ポーランド出身の物理学者・化学者。放射線の研究で、ノーベル物理学賞及び化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授に就任した。1909年、アンリ・ド・ロチルドからキュリー研究所を与えられた。放射線被曝による再生不良性貧血によって死亡したと考えられている。 |
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108 |
真に有能な人の特質は、決して自分に満足しないところにある |
プラウトゥス |
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紀元前254年〜紀元前184年。古代ローマの劇作家。エンターテイメントに飢えた観衆を満足させるため、駄洒落、登場人物の名前にその性格をありありと反映させるなどの言葉遊びを多用した。主に言語の面白さによって観衆をひきつける必要から、物語全体の説得力は他の作家に道を譲るといわれる。 |
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109 |
何事も楽しんでやりなさい。楽しんでやることで思わぬ力が発揮されるものです |
孔子 |
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紀元前552年(一説には前551年)〜紀元前479年。春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。孔子は尊称。弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、儒家となって諸子百家の一家をなした。弟子達が孔子の死後約400年かけてその教えをまとめ、編纂したのが『論語』である。釈迦、キリスト、ソクラテスと並び四聖人に数えられる。 |
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110 |
私達は肉体であると共に精神でもある。この生命力のどちらかが欠けても愛は存在しない |
ジョルジュ・サンド |
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1804年〜1876年。フランスの作家。父が早く亡くなったため子供時代は父方の祖母の館で過ごし、この経験がのちの田園小説のモチーフとなった。18歳で男爵と結婚したが間もなく別居し、多くの男性と恋愛関係をもった。女性権利拡張運動を主導するとともに文学作品を書き続けた。 |
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111 |
人があれもこれも成しうると考える限り、何も成しうる決心がつかない |
スピノザ |
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1632年〜1677年。オランダの哲学者。ユダヤ人として生まれたが、ユダヤ教の教育に不満を抱き、ギリシャ・ラテンの教養を身につけた。数学・哲学、特にデカルト野を研究した。無神論的な傾向のため、ユダヤ教団から破門された。大学から招かれても拒否し、孤独・貧困の中に一生を送った。 |
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112 |
銀のスプーンをくわえて生まれてくる者もいれば、木の杓子をくわえて生まれてくる者もいる |
オリヴァー・ゴールドスミス |
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1730年?〜1774年。イギリスの詩人、小説家、劇作家。アイルランド生まれ。父は牧師。代表作は『ウェイクフィールドの牧師』『お人よし』『負けるが勝ち』『旅人』『寒村行』などがある。 |
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113 |
私は20歳のときより、30歳の方がずっと若く、心も体もより安定し、より強く感じる |
ビアトリクス・ポター |
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1866年〜1943年。家庭で教育され、生涯学校に通うことはなかった。絵本作家としての原点は36歳で出版した『ピーターラビットのおはなし』で、47歳で結婚してからは創作活動も少なくなり農場経営と自然保護に努めた。ナショナル・トラストの活動を支援し、4000エーカー以上の土地を寄付した。 |
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114 |
諸物の多様さと混乱のうちにではなく、つねに単純さのうちに真理は見出される |
アイザック・ニュートン |
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1643年〜1727年。イングランドの自然哲学者。グラマースクールでの評価は「怠け者で、注意力散漫」だったが、25歳ごろまでに万有引力、光の分析、微積分法の3大業績を残す。46歳で『プリンキピア』を出版し、ニュートン力学を確立した。53歳で造幣局に努めてからは錬金術の研究に没頭した。 |
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せつなる恋の心は、尊きこと神のごとし |
樋口 一葉 |
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1872年〜1896年。幼少時代に草双紙の類いを読みふけった。兄と父の死によって苦しい生活を強いられる。20歳で『闇桜』を発表したのをはじめ『たけくらべ』『にごりえ』などの名作を次々に発表したが、肺結核のため24歳で死去。2004年から発行されている5千円札の顔である。 |
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幸運は大胆な人たちに笑いかける |
ヒポクラテス |
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紀元前460年頃〜 紀元前370年ごろ。古代ギリシアの医者。エーゲ海に面したイオニア地方南端のコス島に生まれ、医学を学びギリシア各地を遍歴したと言い伝えられるが、その生涯について詳しいことは分かっていない。医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる経験科学へと発展させた。 |
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人は運命に縛られるのではない。ただ自分の心に縛られているだけなのだ |
フランクリン・ルーズベルト |
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1882年〜1945年。第32代アメリカ大統領。世界恐慌時のニューディール政策、第二次世界大戦への参戦、核兵器の開発、日系アメリカ移民の強制収容、アフリカ系アメリカ人の公民権運動に対する妨害政策などを行った。唯一4選された大統領であり、現在でも国民からの支持は強い。 |
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118 |
同時に詩人の心を持たなければ数学者にはなれない |
ソフィア・コワレフスカヤ |
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1850年〜1891年。ロシアの女性数学者。ロシアで初めて大学教授の地位を得た女性である。偏微分方程式に関する「コーシー=コワレフスカヤの定理」で知られる。晩年には幼少期の思い出をつづった自伝的小説を執筆。日本では『ソーニャ・コヴァレフスカヤ―自伝と追想』岩波文庫。 |
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119 |
自由な人間は決して妬まない。偉大なものを喜んで受け入れ、そうしたものが存在することを喜ぶ |
ヘーゲル |
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1770年〜1831年。ドイツの哲学者。大学卒業後、大学講師、新聞編集者などを経て、46歳で大学教授となり、ヘーゲル学派を形成。59歳で大学総長に選出されたが、61歳でコレラに倒れ、世を去った。主な著作は『精神現象学』『大論理学』『エンチクロペディー』『法哲学・要綱』など。 |
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どんな人でも生きているかぎり存在の必要がある |
ラルフ・ワルド・エマーソン |
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1803年〜1882年。アメリカの思想家、哲学者、作家。7歳のとき父が他界し、母親に養育された。18歳で大学を卒業し、その後牧師になる。自由信仰のため教会を追われ渡欧。帰国後は個人主義を唱え、米文化の独自性を主張した。33歳で評論'Nature'を発表し、超越主義哲学を世に打ち出した。 |
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