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作 品 紹 介 ペ ー ジ |
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今日という一日は、明日と呼ばれる日の二日分の価値がある |
ベンジャミン・フランクリン |
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1706年〜1790年。アメリカの政治家、科学者。ろうそく製造業の家に生まれ、10歳で学校教育を終えて印刷業で成功。46歳のとき凧を使った実験で雷雲の帯電を証明し、避雷針等を発明。70歳で独立宣言の起草委員となり、77歳でイギリスに独立を承認させるパリ条約使節団に参加。84歳で死去。 |
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始まりはいつも今日 |
メアリ・シェリー |
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1797年〜1851年。イギリスの小説家。19歳で書き上げた『フランケンシュタイン』が最も有名。SF小説の創始者・先駆者と呼ばれることもある。他に自伝的小説『最後の人間』を書いた。53歳で死去。 |
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34 |
未来は、今我々が何を為すかにかかっている |
マハトマ・ガンジー |
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1869年〜1948年。インドの民族運動指導者。ロンドンに留学して弁護士となり、南アフリカで差別を体験してイギリスに対する抵抗運動を展開。46歳でインドに帰り、イギリスに対する非暴力・不服従運動を展開。インドの独立を勝ち取った。ヒンドゥー原理主義者によって78歳で暗殺された。 |
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学ぶこと、そして真実と美とを追求することにおいて、我々は一生涯子供でいることを許されている |
アルベルト・アインシュタイン |
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1879年〜1955年。ドイツ生まれの理論物理学者。26歳で特殊相対性理論を、37歳で一般相対性理論を発表し、ノーベル賞を受賞。ルーズベルト大統領に原爆の開発を進言するが、日本への投下に衝撃を受け、戦後は、世界政府の提唱やラッセル=アインシュタイン宣言など、平和運動に取り組んだ。 |
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助けが必要となる前に、まずは友達を作ろう |
エセル・バリモア |
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1879年〜1959年。フィラデルフィア出身の米国の舞台女優、映画女優。TVでも活躍した。母は米国の女優ジョージアナ・ドリュー。兄ライオネル・バリモア、弟ジョン・バリモアも俳優で、後に3人は「バリモア一家」と呼ばれる名優たちになった。エセルと兄ライオネルは、最初にオスカーを獲得した兄妹である。 |
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疑わずに最初の一段を登りなさい。階段のすべてが見えなくても、とにかく一歩を踏み出すのです |
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア |
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1929年〜1968年。アメリカ合衆国のプロテスタントバプテスト派の牧師。キング牧師の名で知られ、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動した。
「I Have a Dream」で知られる有名な演説を行った。1964年のノーベル平和賞受賞者。メンフィス市内で白人男性のジェームズ・アール・レイに撃たれて死亡した。 |
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私は私の意見を述べる。それが良い意見だからではなく、私自身の意見だからだ |
モンテーニュ |
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1533年〜1592年。フランスの哲学者。裕福な家に生まれ、法官になった。37歳で法官を辞任して故郷に戻り、やがて『エセー(随想録)』の執筆を始めた。
47歳で主著『エセー』を刊行した。48歳から52歳までボルドーの市長を務めた。59歳で死去するまで『エセー』の加筆と改訂を続けた。 |
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魂は、歓喜の経験を迎え入れられるように、いつも少し隙間をあけておかねばならない |
エミリー・ディキンソン |
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1830年〜1886年。アメリカの詩人。1700篇以上残した作品は世界中で高い評価を受けており、19世紀世界文学史上の天才詩人という名声は不動のものとなっている。草稿に見られるダッシュの多用と型にはまらない大文字の使用、風変わりな語彙と比喩的描写などにより、独特の叙情詩を作った。 |
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若い時に旅をしなければ、老いてからの物語がない |
ジャン・コクトー |
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1889年〜1963年。フランスの芸術家。詩人、小説家、劇作家、評論家、画家、映画監督、脚本家として活動を行い、その多彩さから「芸術のデパート」とも呼ばれた。自身は詩人と呼ばれることを望んだという。絵画を趣味としていた父は、コクトーが9歳のときピストル自殺している。 |
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女性の分別が分かるほど分別のある男はいない。だから、女は無分別だということにされてしまう |
エレオノーラ・ドゥーゼ |
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1858年〜1924年。イタリアの女優。父と祖父がともに役者であったこともあり、4歳にして一座に加わる。ヨーロッパで名声を博してから南アメリカ、ロシア、ヨーロッパをツアーして回った。後には自身の劇団を立ち上げた。内向的かつ個人主義的で、芸術家肌の演技によって自己を表現した。 |
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牛はのろのろと歩く どこまでも歩く |
高村 光太郎 |
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1883年〜1956年。日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。彫刻家高村光雲の長男。文学にも関心を寄せ、与謝野鉄幹の新詩社の同人となり『明星』に寄稿。ニューヨーク、ロンドン、パリに留学。31歳で智恵子と結婚。千恵子はのちに統合失調症を発病。戦時中は戦意高揚のための戦争協力詩を多く発表した。 |
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自由は秩序を作り、強制は無秩序を作る |
ファーブル |
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1823年〜1915年。フランスの博物学者、教師、詩人。南フランスの大自然に囲まれて育った。師範学校を出て中学の教師になり、物理学、化学の普及書を著した。様々な昆虫の観察を行い、それらをまとめて発表したのが『昆虫記』である。 |
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あなたはばかげたこともすることでしょう。でも、そのばかげたことにも情熱を傾けなさい |
シドニー=ガブリエル・コレット |
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1873年〜1954年。フランスの作家、小説家。ブルゴーニュ地方ヨンヌ県出身。ゴーストライターとして夫Willyを支える生活から、離婚によって独立し、踊り子、小説家、ジャーナリストなどとして活躍した。「性の解放」を叫び、同性も対象とした華麗な恋愛遍歴で知られる。代表作のひとつ『ジジ』は、ブロードウェイで舞台化された。このときのオーディションには自ら立ち会い、主演にオードリー・ヘプバーンを抜擢したことでも有名。 |
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内面で向き合わなかった問題には、いずれ運命として出会うことになる |
カール・ユング |
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1875年〜1961年。スイスの精神科医・心理学者。少年期から己の内面に深い注意が向けられ、善と悪、神と人間についての思索に没頭する。大学医学部ではブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学を創始した。また、学生時代にゲーテ、カント、ニーチェの著作に感銘を受けた。 |
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自分の言ったことを決して取り消さない人は、真理よりおのれを愛する人である |
ジョセフ・ジューベル |
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1754年〜1824年。フランスの哲学者、エッセイスト。主な著書『パンセ』は死後に発表された。パンセはフランス語で『考察』の意味。同書は現在でも多くのファンによって読み継がれている。 |
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人と話したい、自由になりたい、友達がほしい、独りになりたい。そして何より・・・・思いきり泣きたい |
アンネ・フランク |
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1929年〜1945年。ユダヤ系ドイツ人。ナチスによる迫害から逃れて一家でオランダへ亡命。オランダがドイツ軍に占領されると、隠れ家での潜行生活に入り、アンネはその生活を日記に書き続けた。1944年、ナチス親衛隊に隠れ家を発見されて強制収容所へ送られ、翌年15歳で死亡。 |
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どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え |
芥川 龍之介 |
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1892年〜1927年。小説家。生後7か月ごろに母が精神に異常をきたし、母の実家の芥川家で養育される。大学在学中に同人誌『新思潮』を刊行し『老年』を発表。23歳で『羅生門』を『帝国文学』に発表。『芋粥』『藪の中』『地獄変』など古典から題材をとったものが多い。35歳で服毒自殺。 |
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こんな素晴らしい日に生きているというだけでしあわせではないか |
ルーシー・モード・モンゴメリ |
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1874年〜1942年。カナダの小説家。「アン・ブックス」の著者。1歳で母を亡くして祖父母に育てられ、教師、新聞記者などを経験しながら小説を書いた。34歳で「赤毛のアン」を出版し世界的ベストセラーとなった。68歳でうつ病が原因で自殺。(自殺説には異論もある) |
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あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし |
福澤 諭吉 |
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1835年〜1901年。啓蒙思想家、教育者。緒方洪庵に蘭学を学び、渡米・渡欧し『西洋事情』で欧米文明を紹介する。また慶應義塾を創設し啓蒙活動を展開、『学問のすゝめ』はベストセラーとなる。また「時事新報」を創刊し幅広く論説を発表した。2004年から発行されている1万円札の顔である。 |
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真の雄弁は雄弁を軽蔑し、真の道徳は道徳を軽蔑する。 |
ブレーズ・パスカル |
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1623年〜1662年。フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、発明家、実業家。幼少の頃から天才ぶりを発揮した。圧力の単位、パスカルに名を残している。多数の名文句や有名な思弁がある遺稿集『パンセ』は有名である。 |
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歌えなくなる前に私の命が尽きることを願う |
エディット・ピアフ |
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1915年〜1963年。フランスのシャンソン歌手。フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった。ピアフはパリジャンの俗語で雀を意味する。その悲劇的な生涯を反映した痛切なバラードが印象的で広く知られているが、実は、芝居仕立ての歌や軽快な曲なども歌っておりレパートリーは幅広い。 |
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松のことは松に習え、竹のことは竹に習え |
松尾 芭蕉 |
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1644年〜1694年。江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。俳聖として世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人。1689年に弟子の河合曾良を伴い江戸を発ち、東北から北陸を経て美濃国の大垣までを巡った旅を記した紀行文『おくのほそ道』が特に有名である。 |
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同じでない人を同じにしようなどとせず、その人の優れた才能を育てるべきである |
吉田 松陰 |
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1830年〜1859年。江戸末期の志士。長州藩の下士として生まれるが、長崎、江戸に遊学して脱藩。洋学を学び、24歳でアメリカ軍艦に乗り込もうとして捕らえられ幽閉される。27歳で松下村塾を開き、明治維新で重要な働きをする多くの若者を教育した。安政の大獄に連座して29歳で処刑された。 |
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人間が自分の精一杯の力を出して、最上のものを創っている時ぐらい愉快なことはない |
エレナ・ポーター |
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1868年〜1920年。アメリカ合衆国の小説家。生まれながらに病弱で、高校を中退。歌手を目指してボストンのニューイングランド音楽院に入学するが結局挫折。24歳で結婚してから小説を書き始める。多くの恋愛小説・家族小説・ギャグ小説を手がけ、中でも「ポリアンナ」シリーズは最大のヒット作になった。 |
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人の一生には何をやっても上手くいかないときがある。そんなときには何もやらぬのが一番いい |
勝 海舟 |
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1823年〜1899年。幕末から明治初期の幕臣、政治家。下級武士の家に生まれ、蘭学を学ぶ。32歳で長崎海軍伝習所に入所。37歳のとき咸臨丸で渡米。帰国後、神戸海軍操練所を開設。戊辰戦争で幕府軍の軍事総裁となり、江戸城無血開城を実現。維新後は参議、海軍卿、枢密顧問官を歴任した。 |
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目的と反対の結果を生む努力がある。一方、うまくいかなくても、いつも有益な努力もある |
シモーヌ・ヴェイユ |
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1909年〜1943年。フランスの哲学者。5歳で字が読めるようになり、15歳で大学入学資格試験に、22歳で大学教授資格試験に合格。女子高等中学校で教えながら活発な組合活動を行った。スペイン内戦では外国人義勇軍に参加。
第2次大戦中はド・ゴールの「自由フランス」本部で寝食を忘れて激務をこなし、4か月後に倒れた。 |
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もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である |
渋沢 栄一 |
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1840年〜1931年。実業家、慈善家。豪農から幕臣に取り立てられ、ヨーロッパ各国を訪問。明治政府では大蔵官僚。退官後は実業家に転じ、多種多様な会社の設立に関わった。2024年より新一万円札の顔となる。また2021年に渋沢を主人公としたNHK大河ドラマ『青天を衝け』が放送される予定。 |
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学校や教会で教わることを真に受ける必要はない。あなたの魂が拒否することは採用しなくていい |
ウォルト・ホイットマン |
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学校や教会で教わることを真に受ける必要はない。あなたの魂が拒否することは採用しなくていい |
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60 |
真実を語ろう。その結果、どんな結末を迎えようとも |
エレン・グラスゴー |
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1874年〜1945年。米国の小説家。南北戦争前から現代までの南部の社会的変化や風俗を描いた。最も偉大なリアリズム作家の一人。不屈の女性を描いた「不毛の地」、ピュリッツアー賞受賞の「このわれらの生に」、自伝「内なる女」等の作品がある。 |
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