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作 品 紹 介 ペ ー ジ |
121 |
過失を犯しそうな気持ちになったときには、後悔を恐れなさい |
シャーロット・ブロンテ |
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1816年〜1855年。イギリスの小説家。ヨークシャーのソーントン生れ。ブロンテ3姉妹(3人とも小説家)の長姉。当時の社会通念に反逆した同名の女性を描いた『ジェーン・エア』で反響を呼んだ。ほかに自伝的な『ヴィレット』などがある。 |
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122 |
あなたの本当の腹底から出たものでなければ、人を心から動かすことは断じてできない |
ゲーテ |
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1749年〜1832年。ドイツの詩人・小説家。16歳で大学に入り法律・医学などを学んだ。卒業後、詩や小説を書き、名声を得る。中部ドイツ、ワイマル国の宰相を務める一方、文学や自然科学にも専念してドイツ文化に大きな影響を与えた。代表作は「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」など。 |
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123 |
行動しなさい。 世界的な視野をもって行動するのです |
パール・バック |
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1892年〜1973年。アメリカの小説家。宣教師の両親と中国に渡り、そこで育つ。処女作『東の風・西の風』に続き、1931年に代表作『大地』を発表して1932年にピュリッツァー賞を受賞。『大地』は『息子たち』『分裂せる家』とともに三部作を成す。1938年にノーベル文学賞を受賞した。 |
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恋愛は性欲と質を異にするものではなく、より高き形における性欲である |
倉田 百三 |
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1891年〜1943年。日本の劇作家、評論家。大正、昭和初期に活躍した。中学を首席で卒業して旧制第一高等学校へ進学し、文芸部と弁論部に所属する。武者小路実篤の新しい村に賛同し協力。親鸞とその弟子唯円を描いた戯曲『出家とその弟子』は大ベストセラーとなり、世界各国で翻訳され、ロマン・ロランが絶賛したことでも有名である。 |
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自分の個性が発展できるような、自分にぴたりと合った仕事を発見しなければ一生の不幸である |
夏目 漱石 |
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1867年〜1916年。小説家、評論家。松山で中学校教師、熊本で高等学校教授を務めたあと、イギリスへ留学。帰国後、英文学を講じながら、『吾輩は猫である』を発表。これが評判になり『坊っちゃん』『倫敦塔』『虞美人草』『三四郎』『こゝろ』『硝子戸の中』『明暗』などを書く。 |
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すべてが過剰にあるのは、足りないのと同じように良くない |
エドナ・ファーバー |
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1885年〜1968年。米国の作家。高校卒業後、新聞社で働きながら小説を書いた。26歳の時「夜明けのオハラ」でデビュー。『ソー・ビッグ』でピューリッツァー賞を受賞。多くの作品が映画化された。1952年の小説「ジャイアント」(日本語版・映画邦題は『ジャイアンツ』)は映画化されて広く知られた。生涯独身で、子供もなかった。 |
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学んだことは活用してこそ意味がある。活用しなければ、幾ら沢山の本を読んだとしても意味はない |
二宮 尊徳 |
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1787年〜1856年。農政家、思想家。農民として生まれ、十代で両親を亡くすが、読書に励みよく働き、生家を再興させた。23歳の頃には小田原藩家老より家政の建て直しを依頼されこれを成し遂げた。報徳思想を唱えて、下野国桜町をはじめ各地の農村の復興を指導し、70歳で世を去った。 |
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有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする |
バーナード・ショー |
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1856年〜1950年。アイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリスト。穀物卸商の父と芸術を愛好する母との間に生まれ、94歳で没するまでに53本もの戯曲を残し「風刺に満ち、理想性と人間性を描いた作品を送り出した」として69歳でノーベル文学賞を受賞した。 |
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痛みと喜びは、光と影のように交互にやってくる |
フローレンス・ナイチンゲール |
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1820年〜1910年。イギリスの看護師、看護教育学者。人々に奉仕する仕事に就きたいと考え、看護師としてロンドンの病院に無給で就職。クリミア戦争に38名の看護師団を率いて従軍し、その働きぶりから「クリミアの天使」と呼ばれた。看護師への専門的教育の必要性を訴えて看護学校を設立した。 |
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忍耐は腕力に勝る。いっぺんには克服できないことも、少しずつ消化してゆけばかならず克服できる |
プルタルコス |
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46年頃〜127年頃。帝政ローマのギリシア人著述家。アテナイで数学と自然哲学を学び、ギリシャ本土、小アジア、エジプトのアレクサンドリアに赴き、ローマにも度々滞在した。著作活動に熱心で『対比列伝』をはじめ、227もの著作があったと伝えられる。 |
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男性と平等でありたいと求めるような女性は、野心が足りていない。 |
マリリン・モンロー |
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1926年〜1962年。アメリカ合衆国の女優、モデル。典型的な"Blonde bombshell"「金髪美女」役を演じ、1950年代で最も人気のあるセックスシンボルの1人。1962年に予期せぬ死を迎えるまで、わずか10年ほどの活躍だったが、彼女の映画は2億ドルの収入を得た。 |
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規範とは時代の基準である。教養ある人間にとって、時代の基準を受け入れることは愚劣な不道徳のひとつである |
オスカー・ワイルド |
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1854年〜1900年。アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学を代表する作家とも言われる。多彩な文筆活動をしたが、同性愛を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。 |
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機会?運命? すべてを決めているのは、あなたの決意 |
エラ・ウィーラー・ウィルコックス |
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1850年〜1919年。アメリカの詩人。幼いときから詩を書き、高校を卒業するころには詩人として知られていた。28歳で結婚し、息子が一人生まれたが、生後間もなく死亡した。神智学、新思想、心霊主義に興味を持ち、夫の死後には、死後の霊的な世界など、超自然的な力について多くを語っている。 |
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人物を測る基準は、人格を重視すべきである。した仕事よりも、その性格を重くみることである |
新渡戸 稲造 |
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1862年〜1933年。教育者・思想家。盛岡藩士の家に生まれ、札幌農学校に入学、キリスト教徒となる。22歳から米国・ドイツに留学。38歳で書いた『武士道』がベストセラーとなり、58歳で国際連盟事務次長となる。64歳のとき海軍省と対立する発言をして非難され、失意の日々を送る。 |
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道に迷ったら、心の中でささやく声に耳を傾けて。あとは突き進むだけ |
ゾラ・ニール・ハーストン |
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1891年〜1960年。アメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人作家、民俗学者。1920年代から40年代にかけて活躍したが、その後約30年間、著書が絶版になっていた。1975年にアリス・ウォーカーに再発見され、ハーレム・ルネサンスの代表的作家として再評価されることになった。
代表作は1937年の『彼らの目は神を見ていた』。 |
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悔恨がないのは、前進がないからである |
トルストイ |
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1828年〜1910年。ロシアの小説家、思想家。伯爵家の四男として生まれ、幼くして両親を亡くし、祖母に引き取られた。大学中退後、22歳で小説の執筆を始め、24歳で書いた『幼年時代』で新進作家として注目される。他に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』などがある。 |
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疑う余地のない純粋な歓びの一つは、勤勉の後の休息である |
カント |
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1724年〜1804年。プロイセン王国(ドイツ)の哲学者。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱した。ドイツ観念論哲学の祖とされる。彼が定めた超越論哲学の枠組みは、以後の西洋哲学全体に強い影響を及ぼしている。 |
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