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作 品 紹 介 ペ ー ジ |
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始まりはいつも今日 |
メアリ・シェリー |
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1797年〜1851年。イギリスの小説家。19歳で書き上げた『フランケンシュタイン』が最も有名。SF小説の創始者・先駆者と呼ばれることもある。他に自伝的小説『最後の人間』を書いた。53歳で死去。 |
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世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある |
ニーチェ |
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1844年〜1900年。ドイツの哲学者。実存主義の先駆者。少年のころから才能を認められ、給費生として名門校プフォルタ学院に学び、模範的な成績を残す。ボン大学及びライプツィヒ大学で学んだ後、バーゼル大学の教授となり、10年で辞職した後は在野の哲学者となり、40歳台で精神を患った。 |
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34 |
ねじれている人間が他人をまっすぐにできたなど聞いたこともない |
孟子 |
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紀元前372年?〜紀元前289年?。中国戦国時代の儒学者、思想家。儒教(特に朱子学)では孔子に次いで重要な人物とされる。そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。 |
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決して誤ることがないのは、何もしない人だけだ |
ロマン・ロラン |
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1866年〜1944年。フランスの作家。23歳で高等師範学校を卒業し、ローマに留学。28歳から高等中学などで教師を務める。46歳で『ジャン・クリストフ』を書き上げ、50歳でノーベル文学賞を受賞。ヒューマニズム、平和主義、反ファシズムを掲げて戦争反対を世界に叫び続けた。 |
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自然は最も優しい母親である。どんな子供にもイライラしたりしない |
エミリー・ディキンソン |
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1830年〜1886年。アメリカの詩人。1700篇以上残した作品は世界中で高い評価を受けており、19世紀世界文学史上の天才詩人という名声は不動のものとなっている。草稿に見られるダッシュの多用と型にはまらない大文字の使用、風変わりな語彙と比喩的描写などにより、独特の叙情詩を作った。 |
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友人を信用しないのは、友人に欺かれるよりもはるかに恥ずべきことである |
ジャン・パウル |
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1763年〜1825年。ドイツの小説家。大学の神学部に入学したが1年で神学の勉強を中止し、読書と創作に没頭する。多くの作品では人々の生活が人間愛を持って語られるとともに、後進的なドイツの現実が風刺・批判をこめて描かれる。代表作は『ジーベンケース』『巨人』『生意気盛り』など。 |
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本当の教育は知性と美しさと善良さを組み合わせたものです。そして最も大切なものは善良さです |
ヘレン・ケラー |
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1880年〜1968年。アメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家。 視覚と聴覚の重複障害者。アン・サリヴァンの努力もあって障害を乗り越え、世界各地を歴訪して障害者の教育・福祉の発展に尽くした。男女同権論者、人種差別反対論者であり、過酷な若年労働や死刑制度、第一次世界大戦の殺戮にも反対した。 |
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金持ちがその富をどんなふうに使うかが判るまで、彼をほめてはいけない |
ソクラテス |
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紀元前470年頃〜紀元前399年。古代ギリシアの哲学者。自身は一切の著述を行わず、主に弟子のプラトンとクセノフォンの著作を通して知られる。若者を堕落させたとして公開裁判にかけられ、死刑判決を受けて自らドクニンジンの盃をあおった。釈迦、キリスト、孔子と並び四聖人(四聖)に数えられる。 |
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愛国心とは自国民を愛する心にあり、国粋主義とは他国民を憎む心にある |
シャルル・ド・ゴール |
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1890年〜1970年。フランスの政治家、軍人。ナチスドイツのフランス侵攻によってパリが陥落した1940年、ロンドンに亡命政府「自由フランス」を樹立してレジスタンスを支援した。戦後は大統領に就任し、アルジェリアの独立の承認・フランスの核武装・NATOからの離脱などを実現した。 |
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退屈は好奇心で治せるけど、好奇心を治す薬はない |
ドロシー・パーカー |
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1893年〜1967年。アメリカ合衆国の詩人、短編作家、評論家、風刺家。問題の多い不幸な子供時代を過ごした後、文学作品や映画台本作りを追求した。アカデミー賞候補にもなったが、左翼政治に関与したととられ、ハリウッド・ブラックリストに載ったために潰えることとなった。「皮肉屋」としての評判を嘆いていた。 |
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そこから生まれるもののなき博学はくだらない。知識のコレクションに過ぎない |
志賀 直哉 |
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1883年〜1971年。日本の小説家。明治から昭和にかけて活躍した白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に「暗夜行路」「和解」「小僧の神様」「城の崎にて」など。 |
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礼節が二の次にされるのは残念なことです |
マリアン・ムーア |
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1887年〜1972年。アメリカのモダニズム詩人、批評家、翻訳者、編集者。彼女の詩は、形式的な革新、正確な言葉遣い、皮肉、そして機知で有名である。同じアメリカの詩人であるエリザベス・ビショップと親交が深く、互いに影響し合った。ムーアの最も有名な詩は、おそらく「詩」"Poetry"
と題されたものである。 |
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賢い者は、他人の失敗に学ぶ。愚かな者は、自分の失敗にも学ばない |
ベンジャミン・フランクリン |
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1706年〜1790年。アメリカの政治家、科学者。ろうそく製造業の家に生まれ、10歳で学校教育を終えて印刷業で成功。46歳のとき凧を使った実験で雷雲の帯電を証明し、避雷針等を発明。70歳で独立宣言の起草委員となり、77歳でイギリスに独立を承認させるパリ条約使節団に参加。84歳で死去。 |
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人間にとって苦悩に負けることは恥ではない。快楽に負けることこそ恥である |
ブレーズ・パスカル |
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1623年〜1662年。フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、発明家、実業家。幼少の頃から天才ぶりを発揮した。圧力の単位、パスカルに名を残している。多数の名文句や有名な思弁がある遺稿集『パンセ』は有名である。 |
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どうせ空想するなら思いきり素晴らしい空想をした方がいい |
ルーシー・モード・モンゴメリ |
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1874年〜1942年。カナダの小説家。「アン・ブックス」の著者。1歳で母を亡くして祖父母に育てられ、教師、新聞記者などを経験しながら小説を書いた。34歳で「赤毛のアン」を出版し世界的ベストセラーとなった。68歳でうつ病が原因で自殺。(自殺説には異論もある) |
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人を退屈させる秘訣は、すべてを語ることである |
ヴォルテール |
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1694年〜1778年。フランスの哲学者、文学者、歴史家。ジョン・ロックなどとともに啓蒙主義を代表する人物。また百科全書派の一人として活躍。反ローマ・カトリック、反権力の精力的な執筆活動や発言により、18世紀的自由主義の一つの象徴とみなされた。著書に『キリスト教の検討』『寛容論』などがある。 |
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仕事の内容うんぬんではなく、仕事に対する意気込みが大切である |
エレン・グラスゴー |
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1874年〜1945年。米国の小説家。南北戦争前から現代までの南部の社会的変化や風俗を描いた。最も偉大なリアリズム作家の一人。不屈の女性を描いた「不毛の地」、ピュリッツアー賞受賞の「このわれらの生に」、自伝「内なる女」等の作品がある。 |
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一粒の木の実は、いくつもの森を生む |
ラルフ・ワルド・エマーソン |
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1803年〜1882年。アメリカの思想家、哲学者、作家。7歳のとき父が他界し、母親に養育された。18歳で大学を卒業し、その後牧師になる。自由信仰のため教会を追われ渡欧。帰国後は個人主義を唱え、米文化の独自性を主張した。33歳で評論'Nature'を発表し、超越主義哲学を世に打ち出した。 |
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人は急行列車で走りまわっているが、何を探しているのか自分でも分かっていない |
サン・テグジュペリ |
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1900年〜1944年。フランスの作家、操縦士。郵便輸送のためのパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。自由フランス空軍に所属し、偵察飛行中、地中海上空で行方不明となる。主な作品は、南方郵便機、夜間飛行、人間の土地、星の王子さま、など。 |
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アーティストである喜びと比べられるものが、他にあるだろうか |
メアリー・カサット |
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1844年〜1926年。米国の画家・版画家。成人してからはフランスで生活することが多かった。独特の力強いタッチで、母と子の親密な絆を、さらに、女性の社会的および私的生き方を描き続けた。印象派の展覧会にも出品した。 |
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青春が幸福なのは、美しいものを見る能力を備えているから。それを保てれば人は老いぬ |
フランツ・カフカ |
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1883年〜1924年。チェコ出身の小説家。ユダヤ人の家庭に生まれ、保険局に勤めながら作品を執筆。生前は『変身』などが限られた範囲で知られるのみだったが、死後『審判』『城』『失踪者』などが再評価され、特に実存主義的見地から注目されたことによって世界的なブームとなった。 |
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わたしにとって仕事は最も幸福に近いもの |
ゾラ・ニール・ハーストン |
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1891年〜1960年。アメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人作家、民俗学者。1920年代から40年代にかけて活躍したが、その後約30年間、著書が絶版になっていた。1975年にアリス・ウォーカーに再発見され、ハーレム・ルネサンスの代表的作家として再評価されることになった。 代表作は1937年の『彼らの目は神を見ていた』。 |
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1分の休みもないほどに働け。これほどの幸せはない。働くことこそが生き甲斐である |
ファーブル |
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1823年〜1915年。フランスの博物学者、教師、詩人。南フランスの大自然に囲まれて育った。師範学校を出て中学の教師になり、物理学、化学の普及書を著した。様々な昆虫の観察を行い、それらをまとめて発表したのが『昆虫記』である。 |
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仕事のために家族を犠牲にしてはならない |
ウォルト・ディズニー |
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1901年〜1966年。アメリカ合衆国のアニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、漫画家、実業家。ミッキーマウスをはじめとするキャラクターの生みの親。ディズニーリゾートの創立者。兄と共同で設立したウォルト・ディズニー・カンパニーは数々の倒産、失敗を繰り返すも、350億ドル以上の収入を持つ国際的な大企業に発展した。 |
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なりたい自分を目指すのに遅すぎるということはない |
ジョージ・エリオット |
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1819年〜1880年。イギリスの作家。心理的洞察と写実性に優れた作品を発表した。『アダム・ビード』『サイラス・マーナー』『ミドルマーチ』などの作品で知られており、特に『ミドルマーチ』は後世のヴァージニア・ウルフによって賞賛された。 |
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自分が理解できない人のことを愚か者と見なしてしまうことが人間にはよくある |
カール・ユング |
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1875年〜1961年。スイスの精神科医・心理学者。少年期から己の内面に深い注意が向けられ、善と悪、神と人間についての思索に没頭する。大学医学部ではブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学を創始した。また、学生時代にゲーテ、カント、ニーチェの著作に感銘を受けた。 |
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結婚せずに生きていくのは、じたばたしなければ素晴らしい経験だ |
エドナ・ファーバー |
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1885年〜1968年。米国の作家。高校卒業後、新聞社で働きながら小説を書いた。26歳の時「夜明けのオハラ」でデビュー。『ソー・ビッグ』でピューリッツァー賞を受賞。多くの作品が映画化された。1952年の小説「ジャイアント」(日本語版・映画邦題は『ジャイアンツ』)は映画化されて広く知られた。生涯独身で、子供もなかった。 |
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道徳は常に古着である |
芥川 龍之介 |
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1892年〜1927年。小説家。生後7か月ごろに母が精神に異常をきたし、母の実家の芥川家で養育される。大学在学中に同人誌『新思潮』を刊行し『老年』を発表。23歳で『羅生門』を『帝国文学』に発表。『芋粥』『藪の中』『地獄変』など古典から題材をとったものが多い。35歳で服毒自殺。 |
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月曜の朝は他のどの日より喜んでいいと思う。何しろ次の月曜が来るまでに、まる一週間あるのだから |
エレナ・ポーター |
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1868年〜1920年。アメリカ合衆国の小説家。生まれながらに病弱で、高校を中退。歌手を目指してボストンのニューイングランド音楽院に入学するが結局挫折。24歳で結婚してから小説を書き始める。多くの恋愛小説・家族小説・ギャグ小説を手がけ、中でも「ポリアンナ」シリーズは最大のヒット作になった。 |
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