掲載
ページ |
名 言 ・ 格 言 |
人 物 |
肖 像 |
| 人 物 解 説 な ど |
ウィキペディアのページ
作 品 紹 介 ペ ー ジ |
| 32 |
やろうと思った事は、その日から始めるのがよい。 思い立ったが吉日である |
吉田松陰 |
 |
1830年〜1859年。江戸末期の志士。長州藩の下士として生まれるが、長崎、江戸に遊学して脱藩。洋学を学び、24歳でアメリカ軍艦に乗り込もうとして捕らえられ幽閉される。27歳で松下村塾を開き、明治維新で活躍する多くの若者を教育した。安政の大獄に連座して29歳で処刑された。 |

 |
| 33 |
夢、これ以外に将来を作り出すものはない |
ヴィクトル・ユーゴー |
 |
1802年〜1885年。フランスで生まれ、ロマン主義文学を代表する詩人・小説家・劇作家として活躍。『レ・ミゼラブル』『ノートルダム・ド・パリ』などで社会問題や人間愛を力強く描いた。政治的にも活動し、ナポレオン3世のクーデターに反対して亡命生活を送るなど波乱の生涯を送った。 |

 |
| 34 |
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒に振るか |
ヘレン・ケラー |
 |
1880年〜1968年。アメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家。 視覚と聴覚の重複障害者。アン・サリヴァンの努力もあって障害を乗り越え、世界各地を歴訪して障害者の教育・福祉の発展に尽くした。男女同権論者、人種差別反対論者であり、過酷な若年労働や死刑制度、第一次世界大戦の殺戮にも反対した。 |

 |
| 35 |
金持ちが戦争を起こし、貧乏人が死ぬ |
サルトル |
 |
1905年〜1980年。フランス実存主義を代表する思想家で、人間は本質に先立って存在し、自由な選択と責任を負うと説いた。主著『存在と無』で意識や他者との関係を分析し、小説『嘔吐』や戯曲でも高く評価された。政治・社会問題にも積極的に関与し、1964年のノーベル文学賞を辞退した。 |

 |
| 36 |
芸術は時代に先駆けて現れ、時代は芸術の後ろでもたもたしている |
ジャン・コクトー |
 |
1889年〜1963年。フランスの芸術家。詩人、小説家、劇作家、評論家、画家、映画監督、脚本家として活動を行い、その多彩さから「芸術のデパート」とも呼ばれた。自身は詩人と呼ばれることを望んだという。絵画を趣味としていた父は、コクトーが9歳のときピストル自殺している。 |

 |
| 37 |
黙ってすすり泣く子供の呪いは、怒り狂う強い男の呪いよりも、もっと深い |
エリザベス・ブラウニング |
 |
1806年〜1861年。イングランドの詩人。夫は詩人ロバート・ブラウニング。裕福な少女時代を送り、ギリシャ語、ラテン語を独学で学んだ。14歳で『マラトンの戦い』を私費出版。40歳でロバートと結婚しイタリアへ駆け落ち。代表作はロバートとの恋愛がベースになった『ポルトガル語からのソネット』など。 |

 |
| 38 |
新しいものを考えついた人も、それが成功するまではただの変人にすぎない |
マーク・トウェイン |
 |
1835年〜1910年。アメリカ合衆国の著作家、小説家。『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られ、数多くの小説やエッセーを発表、世界中で講演活動を行うなど、当時最も人気のある著名人であった。ユーモアと社会風刺に富んだ作品で知られる。 |

 |
| 39 |
自分に起こるどんなことも、宇宙から見ればまったく取るに足らないことだ |
バートランド・ラッセル |
 |
1872年〜1970年。、イギリスの哲学者、論理学者、数学者、社会批評家、政治活動家。ラッセル伯爵家の貴族。生涯に4度結婚し、最後の結婚は80歳のときであった。1950年にノーベル文学賞を受賞している。1955年7月9日、核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表した。 |

 |
| 40 |
太陽ばかりを見ていては影は目に入らない |
アン・サリヴァン |
 |
1866年〜1936年。ヘレン・ケラーの家庭教師。9歳のとき母親を亡くし救貧院に入る。病気によって盲目となり盲学校に入り、訓練と手術の結果ある程度視力を回復した。21歳でヘレン・ケラーの家庭教師となる。ヘレン・ケラーは彼女のおかげで、目、耳、声の三重の身体障害を克服した。
|

 |
| 41 |
孤独は優れた精神の持ち主の運命である |
ショーペンハウエル |
 |
1788年〜1860年。大学で哲学を学び、25歳で博士論文『根拠の原理の四つの根について』を、30歳で主著『意志と表象としての世界』を書く。芸術論・自殺論が有名だがその論考はあらゆるジャンルを網羅しており、仏教哲学、インド哲学も取り込んでいる。 |

 |
| 42 |
自分の道を進む人は、誰でも英雄である |
ヘルマン・ヘッセ |
 |
1877年〜1962年。ドイツ生まれのスイスの作家。穏やかな人間の生き方を描いた作品が多い。また風景や蝶々などの水彩画もよくしたため、自身の絵を添えた詩文集も刊行している。1946年に『ガラス玉演戯』などの作品が評価され、ノーベル文学賞を受賞した。 |

 |
| 43 |
経済的余裕を得た時にはそれを得るために努力した理由がなくなっているのは、人生の皮肉だ |
エレン・グラスゴー |
 |
1874年〜1945年。米国の小説家。南北戦争前から現代までの南部の社会的変化や風俗を描いた。最も偉大なリアリズム作家の一人。不屈の女性を描いた「不毛の地」、ピュリッツアー賞受賞の「このわれらの生に」、自伝「内なる女」等の作品がある。 |

 |
| 44 |
実行すると決断したら、その結果に対する責任や心配を完全に捨て去ろう |
ウィリアム・ジェームズ |
 |
1842年〜1910年。アメリカの哲学者、心理学者。自由な雰囲気の家庭で育ち、大学卒業後、23歳で参加したブラジル探検で生物学に興味を持ち、ハーバード大学で学び直して教授となる。プラグマティストの代表。著作に『心理学原理』『宗教的経験の諸相』『プラグマティズム』などがある。 |

 |
| 45 |
結婚はしてもしなくても後悔するものである |
フランツ・カフカ |
 |
1883年〜1924年。チェコ出身の小説家。ユダヤ人の家庭に生まれ、保険局に勤めながら作品を執筆。生前は『変身』などが限られた範囲で知られるのみだったが、死後『審判』『城』『失踪者』などが再評価され、特に実存主義的見地から注目されたことによって世界的なブームとなった。 |

 |
| 46 |
人間が成長するのは、自分で自分のことを心から笑えるようになったとき |
エセル・バリモア |
 |
1879年〜1959年。フィラデルフィア出身の米国の舞台女優、映画女優。TVでも活躍した。母は米国の女優ジョージアナ・ドリュー。兄ライオネル・バリモア、弟ジョン・バリモアも俳優で、後に3人は「バリモア一家」と呼ばれる名優たちになった。エセルと兄ライオネルは、最初にオスカーを獲得した兄妹である。 |
 |
| 47 |
善に協力するのは義務である。と同時に、悪への協力を拒否するのも義務である |
マハトマ・ガンジー |
 |
1869年〜1948年。インドの民族運動指導者。ロンドンに留学して弁護士となり、南アフリカで差別を体験してイギリスに対する抵抗運動を展開。46歳でインドに帰り、イギリスに対する非暴力・不服従運動を展開。インドの独立を勝ち取った。ヒンドゥー原理主義者によって78歳で暗殺された。 |

 |
| 48 |
誰が誰よりどうだとか、誰の仕事がどうしたとか、そんなことを言っているひまがあるか? |
宮澤賢治 |
 |
1896年〜1933年。詩人、童話作家。農学校の教員となるが30歳で退職。昼は開墾、夜は読書と創作の生活をする。「羅須地人協会」を設立して農民芸術を実践。農業指導などに奔走するうち病に倒れ、37歳で死去。主な作品は『銀河鉄道の夜』『雨ニモマケズ』『農民芸術概論綱要』など。 |

 |
| 49 |
私たちは、年々老いていくのではなく、日々新しくなっていくのだ |
エミリー・ディキンソン |
 |
1830年〜1886年。アメリカの詩人。1700篇以上残した作品は世界中で高い評価を受けており、19世紀世界文学史上の天才詩人という名声は不動のものとなっている。草稿に見られるダッシュの多用と型にはまらない大文字の使用、風変わりな語彙と比喩的描写などにより、独特の叙情詩を作った。 |

 |
| 50 |
母親は男の子を育てるのに20年かかるが、女性は男を20分でバカにしてしまう |
ロバート・フロスト |
 |
1874年〜1963年。自然や日常生活を題材にした詩で知られる20世紀アメリカを代表する詩人。平易な言葉の中に深い哲学性を込め、『行かなかった道』『雪の降る夕暮れ森のそばに立って』などの作品で広く読まれた。ピューリッツァー賞を4度受賞し、その詩風は多くの読者と後進に影響を与えた。 |

 |
| 51 |
一貫性というのは、想像力を欠いた人間の最後のよりどころである |
オスカー・ワイルド |
 |
1854年〜1900年。アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学を代表する作家とも言われる。多彩な文筆活動をしたが、同性愛を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。 |

 |
| 52 |
たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだと私は今でも信じている |
アンネ・フランク |
 |
1929年〜1945年。ユダヤ系ドイツ人。ナチスによる迫害から逃れて一家でオランダへ亡命。オランダがドイツ軍に占領されると、隠れ家での潜行生活に入り、アンネはその生活を日記に書き続けた。1944年、ナチス親衛隊に隠れ家を発見されて強制収容所へ送られ、翌年15歳で死亡。 |

 |
| 53 |
英雄とはできることをした人。凡人とはできることもしないでできないことを望んでいる人 |
ロマン・ロラン |
 |
1866年〜1944年。フランスの作家。23歳で高等師範学校を卒業し、ローマに留学。28歳から高等中学などで教師を務める。46歳で『ジャン・クリストフ』を書き上げ、50歳でノーベル文学賞を受賞。ヒューマニズム、平和主義、反ファシズムを掲げて戦争反対を世界に叫び続けた。 |

 |
| 54 |
復讐する時、人間はその仇敵と同列である。許す時、彼は仇敵よりも上にある |
フランシス・ベーコン |
 |
1561年〜1626年。ロンドン生まれ。経験と観察に基づく帰納法を提唱し、近代科学の方法論の基礎を築いた。著書『ノヴム・オルガヌム』では先入観(イドラ)を排し、実験と検証による知識獲得の重要性を説いた。政治家としても活躍したが失脚も経験。科学革命に大きな影響を与えた。 |

 |
| 55 |
自ら思うところを述べる勇気を持て |
シモーヌ・ヴェイユ |
 |
1909年〜1943年。フランスの哲学者。5歳で字が読めるようになり、15歳で大学入学資格試験に、22歳で大学教授資格試験に合格。女子高等中学校で教えながら活発な組合活動を行った。スペイン内戦では外国人義勇軍に参加。
第2次大戦中はド・ゴールの「自由フランス」本部で寝食を忘れて激務をこなし、4か月後に倒れた。 |
 |
| 56 |
正義の尺度は声の多寡ではない |
フリードリヒ・フォン・シラー |
 |
1759年〜1805年。ドイツの詩人、劇作家、思想家。ドイツ古典主義(Weimarer Klassik)の代表者。自由を求める不屈の精神が、彼の作品の根底に流れるテーマである。彼の求めた「自由」はドイツ国民の精神生活に大きな影響を与えた。 |

 |
| 57 |
多くのことを成し遂げるための一番の近道は、一度に一つのことを行うことである |
サミュエル・スマイルズ |
 |
1812年〜1904年。英国の作家、医者。著書『Self-Help』は、江戸幕府留学生取締役として英国に留学した中村正直が『西国立志編』として邦訳した。その思想は近代日本の形成に大きな影響を与えたと言われている。Self-Helpは『自助論』として知られる。Self-Help序文中の「天は自らを助くる者を助く」は広く知られている。 |

 |
| 58 |
女性よ自立しなさい。自分の足で立ちなさい |
フローレンス・ナイチンゲール |
 |
1820年〜1910年。イギリスの看護師、看護教育学者。人々に奉仕する仕事に就きたいと考え、看護師としてロンドンの病院に無給で就職。クリミア戦争に38名の看護師団を率いて従軍し、その働きぶりから「クリミアの天使」と呼ばれた。看護師への専門的教育の必要性を訴えて看護学校を設立した。 |

 |
| 59 |
自立への大きな一歩は、胃を満たすことである |
セネカ |
 |
紀元前1年頃〜65年。ローマ帝国の政治家、哲学者、詩人。 父親の大セネカと区別するため小セネカとも呼ばれる。第5代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師としても知られ、また治世初期にはブレーンとして支えた。 |

 |
| 60 |
読んだだけ、聞いただけという物知りがいる。これは知恵というものにはならない |
志賀 直哉 |
 |
1883年〜1971年。日本の小説家。明治から昭和にかけて活躍した白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に「暗夜行路」「和解」「小僧の神様」「城の崎にて」など。 |
 |