掲載
ページ |
名 言 ・ 格 言 |
人 物 |
肖 像 |
| 人 物 解 説 な ど |
ウィキペディアのページ
作 品 紹 介 ペ ー ジ |
| 90 |
今日できることを明日に延ばすな。成功したいのなら「いつか」ではなく「今」だ |
ベンジャミン・フランクリン |
 |
1706年〜1790年。アメリカの政治家、科学者。ろうそく製造業の家に生まれ、10歳で学校教育を終えて印刷業で成功。46歳のとき凧を使った実験で雷雲の帯電を証明し、避雷針等を発明。70歳で独立宣言の起草委員となり、77歳でイギリスに独立を承認させるパリ条約使節団に参加。84歳で死去。 |

 |
| 91 |
若い女の子は今幻滅を感じているかと思えば次の瞬間には幻想にとりつかれている |
シドニー=ガブリエル・コレット |
 |
1873年〜1954年。フランスの作家、小説家。ブルゴーニュ地方ヨンヌ県出身。「性の解放」を叫び、同性も対象とした華麗な恋愛遍歴で知られる。代表作のひとつ『ジジ』は、ブロードウェイで舞台化された。このときのオーディションには自ら立ち会い、主演にオードリー・ヘプバーンを抜擢したことでも有名。 |


 |
| 92 |
なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう |
芥川龍之介 |
 |
1892年〜1927年。小説家。生後7か月ごろに母が精神に異常をきたし、母の実家の芥川家で養育される。大学在学中に同人誌『新思潮』を刊行し『老年』を発表。23歳で『羅生門』を『帝国文学』に発表。『芋粥』『藪の中』『地獄変』など古典から題材をとったものが多い。35歳で服毒自殺。 |

 |
| 93 |
学んだ知識など、どう見たって、我々が知らない知識と比べたら、取るに足りない |
プラトン |
 |
紀元前427年〜紀元前347年。古代ギリシアの哲学者。ソクラテスの弟子、アリストテレスの師。ソクラテスから問答法と、哲学者としての主知主義的な姿勢を学んだ。アカデメイアに学園を開設した。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。 |

 |
| 94 |
習慣を変えるくらいなら、いっそ世界を変えようとするのが男の常だ |
エレオノーラ・ドゥーゼ |
 |
1858年〜1924年。イタリアの女優。父と祖父がともに役者であったこともあり、4歳にして一座に加わる。ヨーロッパで名声を博してから南アメリカ、ロシア、ヨーロッパをツアーして回った。後には自身の劇団を立ち上げた。内向的かつ個人主義的で、芸術家肌の演技によって自己を表現した。 |

 |
| 95 |
信じて騙されるのは、誠のものを疑うよりどれ程まさっているだろう |
倉田 百三 |
 |
1891年〜1943年。日本の劇作家、評論家。大正、昭和初期に活躍した。中学を首席で卒業して旧制第一高等学校へ進学し、文芸部と弁論部に所属する。武者小路実篤の新しい村に賛同し協力。親鸞とその弟子唯円を描いた戯曲『出家とその弟子』は大ベストセラーとなり、世界各国で翻訳され、ロマン・ロランが絶賛したことでも有名である。 |

 |
| 96 |
ほとんどの人間は実のところ自由など求めていない。自由には責任が伴うからである |
ジークムント・フロイト |
 |
1856年〜1939年。精神分析学を創始したオーストリアの心理学者、精神科医。無意識の概念を提唱し、夢分析や自由連想法を用いて心の構造をイド・自我・超自我に分けて説明した。神経症や人間行動の理解に新たな視点を与え、心理学や文学、文化に大きな影響を与えた。 |

 |
| 97 |
憎しみにうち勝つ最上のものは暴力ではない。傷を癒す最良のものは復讐ではない |
シャーロット・ブロンテ |
 |
1816年〜1855年。イギリスの小説家。ヨークシャーのソーントン生れ。ブロンテ3姉妹(3人とも小説家)の長姉。当時の社会通念に反逆した同名の女性を描いた『ジェーン・エア』で反響を呼んだ。ほかに自伝的な『ヴィレット』などがある。
|

 |
| 98 |
教育は過去の価値の伝達にはなく、未来の価値の創造にある |
ジョン・デューイ |
 |
1859年〜1952年。アメリカの哲学者。食料品店に生まれ、15歳で名門バーモント大学に入学。進化論や哲学を学んだ。卒業後は教師として勤めたのち大学へ戻り、30歳で教授になる。機能主義心理学を打ち出し、プラグマティズムを代表する思想家とされる。問題解決学習の創始者とされている。 |

 |
| 99 |
自己の精神を作り直そうとすれば、人は多少とも危険を冒して平均から遠ざかる |
ポール・ヴァレリー |
 |
1871年〜1945年。フランスの著作家、詩人、小説家、評論家。多岐にわたる旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される。作品には『天使』『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』『ムッシュー・テスト』『若きパルク』『海辺の墓地』『精神の危機』などがある。 |

 |
| 100 |
この四つがなかったら、私はもっとうまくやったはず。愛、好奇心、そばかす、疑い。 |
ドロシー・パーカー |
 |
1893年〜1967年。アメリカ合衆国の詩人、短編作家、評論家、風刺家。問題の多い不幸な子供時代を過ごした後、文学作品や映画台本作りを追求した。アカデミー賞候補にもなったが、左翼政治に関与したととられ、ハリウッド・ブラックリストに載ったために潰えることとなった。「皮肉屋」としての評判を嘆いていた。 |

 |
| 101 |
憎むべき狂気とは、人生にただ折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないこと |
ミゲル・デ・セルバンテス |
 |
1547年〜1616年。スペインの小説家。海軍で被弾、左腕の自由を失う。海賊に捕らわれて5年間の虜囚生活。その後も軍や徴税吏の仕事に関連して二度投獄。58歳で『ドン・キホーテ』がヒットしたが、版権を売っていたため生活面は向上せず。その後『模範小説集』『ドン・キホーテ
後編』などを書いた。 |

 |
| 102 |
重要なのは、病から癒えることではなく、病みつつ生きること |
アルベール・カミュ |
 |
1913年〜1960年。フランスの小説家、劇作家、哲学者。小説『異邦人』、エッセイ『シーシュポスの神話』などで「不条理」の哲学を打ち出して注目され、戦後は戦闘的なジャーナリストとして活躍した。史上2番目の若さ、44歳でノーベル文学賞を受賞した。交通事故により47歳で急死。 |
 |
| 103 |
愛には憎悪より遥かに強い力があるし、考え方次第で人生は良くも悪くもなる。 |
エラ・ウィーラー・ウィルコックス |
 |
1850年〜1919年。アメリカの詩人。幼いときから詩を書き、高校を卒業するころには詩人として知られていた。28歳で結婚し、息子が一人生まれたが、生後間もなく死亡した。神智学、新思想、心霊主義に興味を持ち、夫の死後には、死後の霊的な世界など、超自然的な力について多くを語っている。 |

 |
| 104 |
臆病は残酷性の母である |
モンテーニュ |
 |
1533年〜1592年。フランスの哲学者。裕福な家に生まれ、法官になった。37歳で法官を辞任して故郷に戻り、やがて『エセー(随想録)』の執筆を始めた。
47歳で主著『エセー』を刊行した。48歳から52歳までボルドーの市長を務めた。59歳で死去するまで『エセー』の加筆と改訂を続けた。 |

 |
| 105 |
悪事はすべて、名誉・義務・正義などの名のもとに犯される |
バーナード・ショー |
 |
1856年〜1950年。アイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリスト。穀物卸商の父と芸術を愛好する母との間に生まれ、94歳で没するまでに53本もの戯曲を残し「風刺に満ち、理想性と人間性を描いた作品を送り出した」として69歳でノーベル文学賞を受賞した。 |

 |
| 106 |
魂のみが人の魂を勝ち取るし、心のみが人の心に火を点ずる |
エレン・ケイ |
 |
1849年〜1926年。スウェーデンの思想家。進歩的な政治家である父の影響を受けて育つ。婦人と子供の生活に関心を持ち、教育論、結婚論、婦人運動論を展開。主著「児童の世紀」は児童中心主義思想や新教育運動のバイブル的存在となる。「恋愛と結婚」は日本の女性運動家、平塚らいてう等に大きな影響を与える。 |

 |
| 107 |
墓の下にいても、人々の役に立てる。これほどの嬉しいことがあるだろうか |
ベートーヴェン |
 |
1770年〜1827年。ドイツの作曲家。父に代わって家計を支える苦悩の少年期を過ごした。22歳でハイドンの弟子となり、ピアノの名手として名声を博した。20代後半頃より難聴が悪化し自殺も考えたが、その苦悩を乗り越えて新たな芸術の道へと進んだ。後世の音楽家に多大な影響を与えた。
|

 |
| 108 |
自分というものを既成させない、堕落させない、大人にさせない、一生求めて進んでいく |
澤木興道 |
 |
1880年〜1965年。幼少期に両親を亡くし、苦難を経験して出家。曹洞宗の僧として修行を重ねた。寺に定住せず各地を行脚して坐禅を説いたことから「宿なし興道」と呼ばれる。只管打坐を重視し、形式や権威にとらわれない実践的な禅を広め、多くの弟子を育てた。戦後の日本仏教に大きな影響を与えた。 |
 |
| 109 |
行動することです。そうすれば神も行動されます |
ジャンヌ・ダルク |
 |
1412年〜1431年。12歳で「イングランド軍を駆逐して王太子シャルルをフランス王位に就かしめよ」という神の声を聴き、17歳で指揮官の一人となった。兵士の士気を鼓舞し、フランス軍の快進撃を作り出した。しかし18歳で捕虜となり、裁判にかけられて、異端として19歳で火刑に処せられた。 |

 |
| 110 |
言葉で説教するよりも、あなたの生き方そのものがより良い説教となろう |
オリヴァー・ゴールドスミス |
 |
1730年?〜1774年。イギリスの詩人、小説家、劇作家。アイルランド生まれ。父は牧師。代表作には『ウェイクフィールドの牧師』『お人よし』『負けるが勝ち』『旅人』『寒村行』などがある。 |

 |
| 111 |
馬鹿には会いたくないというのなら、まず自分の鏡を壊すことだ |
フランソワ・ラブレー |
 |
1483年?〜1553年。フランス・ルネサンスを代表する人文主義者、作家、医師。修道院で初等教育を受け、放浪を経て医師となる。騎士道物語のパロディー『ガルガンチュワ物語』と『パンタグリュエル物語』を書くが、教会など既成の権威を風刺した内容を含んでいたため禁書とされた。 |

 |
| 112 |
私はここで生きることに最善をつくす。きっと最大の収穫がかえってくると思うから |
ルーシー・モード・モンゴメリ |
 |
1874年〜1942年。カナダの小説家。「アン・ブックス」の著者。1歳で母を亡くして祖父母に育てられ、教師、新聞記者などを経験しながら小説を書いた。34歳で「赤毛のアン」を出版し世界的ベストセラーとなった。68歳でうつ病が原因で自殺。(自殺説には異論もある) |

 |
| 113 |
「明日こそは」と人は自分をなだめる。この「明日」が彼を墓場に送り込むその日まで |
ツルゲーネフ |
 |
1818年〜1883年。ロシアの文豪。大地主の子として生まれたが、『猟人日記』を発表して農奴制を批判。これが危険思想とみなされ、逮捕・投獄された。その後も『貴族の巣』
『その前夜』『処女地』『父と子』などを発表して大きな反響を巻き起こし、農奴解放(1861年)に大きな役割を果たした。 |

 |
| 114 |
議論の目的は勝利ではなく改善である |
ジョセフ・ジューベル |
 |
1754年〜1824年。フランスの哲学者、エッセイスト。主な著書『パンセ』は死後に発表された。パンセはフランス語で『考察』の意味。同書は現在でも多くのファンによって読み継がれている。 |

 |
| 115 |
身の回りには常に不快なことがあるが、その中に善を見つけることで不快さは和らぐ |
エレナ・ポーター |
 |
1868年〜1920年。アメリカ合衆国の小説家。生まれながらに病弱で、高校を中退。歌手を目指してボストンのニューイングランド音楽院に入学するが結局挫折。24歳で結婚してから小説を書き始める。多くの恋愛小説・家族小説・ギャグ小説を手がけ、中でも「ポリアンナ」シリーズは最大のヒット作になった。 |

 |
| 116 |
他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる |
エリック・バーン |
 |
1910年〜1970年。アメリカで活躍したカナダ出身の精神科医。人の対人関係を分析する交流分析(Transactional Analysis:TA)を提唱し、心の状態を親・大人・子どもの3つに分けて説明した。著書『人生ゲーム入門』は世界的なベストセラーとなり、心理学の普及に大きく貢献した。 |

 |
| 117 |
世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ |
ソクラテス |
 |
紀元前470年頃〜紀元前399年。古代ギリシアの哲学者。自身は一切の著述を行わず、主に弟子のプラトンとクセノフォンの著作を通して知られる。若者を堕落させたとして公開裁判にかけられ、死刑判決を受けて自らドクニンジンの盃をあおった。釈迦、キリスト、孔子と並び四聖人(四聖)に数えられる。 |

 |
| 118 |
絶対に忘れないでしょう、善や真実、それに個人的感情について何時間も議論したことを |
ヴァージニア・ウルフ |
 |
1882年〜1941年。イギリスの小説家、評論家。6歳の頃から異父兄から性的虐待を受け、13歳で母の急死によって神経衰弱を発病。その後も神経衰弱とうつ状態を繰り返す。33歳で著作を始め『船出』『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『オーランドー』等を発表して名を馳せたが、59歳で自殺した。 |

 |