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作 品 紹 介 ペ ー ジ |
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偉大な人は考えについて、平凡な人は出来事について、狭量な人は他人について議論する |
エレノア・ルーズベルト |
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1884年〜1962年。アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻、アメリカ国連代表、婦人運動家、文筆家。リベラル派として高名であった。1946年、国際連合人権委員会委員長に選出される。人権委員会は世界人権宣言の起草に着手し1948年12月に国連総会で採択された。 |

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私の方では年齢の事など構わないでいても、年齢の方が私を構わないではおかない |
寺田 虎彦 |
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1878年〜1935年。物理学者、随筆家、俳人。 熊本の第五高等学校で、英語教師夏目漱石、物理学教師田丸卓郎と出会い、科学と文学を志す。地球物理学や結晶解析で業績を残す一方、尺八、金平糖、ひび割れなど身辺の物理現象の研究も多い。科学と文学を調和させた随筆を多く残している。 |

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今日、明日、どんな困難が待ち受けていようとも、私には夢がある |
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア |
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1929年〜1968年。アメリカ合衆国のプロテスタントバプテスト派の牧師。キング牧師の名で知られ、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動した。
「I Have a Dream」で知られる有名な演説を行った。1964年のノーベル平和賞受賞者。メンフィス市内で白人男性のジェームズ・アール・レイに撃たれて死亡した。 |

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文明の程度は、それが弱い人、頼るところのない人をどのように尊重しているかによって測られる |
パール・バック |
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1892年〜1973年。アメリカの小説家。宣教師の両親と中国に渡り、そこで育つ。処女作『東の風・西の風』に続き、1931年に代表作『大地』を発表して1932年にピュリッツァー賞を受賞。『大地』は『息子たち』『分裂せる家』とともに三部作を成す。1938年にノーベル文学賞を受賞した。 |

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信じるのだ。こんな小さな人間でも、意志さえあれば どんなことでも やれるということを |
マクシム・ゴーリキー |
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1868年〜1936年。ロシアの作家。10歳で孤児となり祖母に育てられる。祖母の死に深く動揺し、19歳で自殺未遂事件を起こしたのち、ロシアの各地を放浪する。その後、地方新聞の記者となり、24歳で短編を発表した。社会主義リアリズムの創始者であり、社会活動家でもあった。
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自由な人は死について考える。賢明な人はそこから生について熟慮を始める |
スピノザ |
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1632年〜1677年。オランダの哲学者。ユダヤ人として生まれたが、ユダヤ教の教育に不満を抱き、ギリシャ・ラテンの教養を身につけた。数学・哲学、特にデカルト野を研究した。無神論的な傾向のため、ユダヤ教団から破門された。大学から招かれても拒否し、孤独・貧困の中に一生を送った。 |

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今すべきことは、怒りのホウキをつかんで、不安という猛獣を追い払うこと |
ゾラ・ニール・ハーストン |
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1891年〜1960年。アメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人作家、民俗学者。1920年代から40年代にかけて活躍したが、その後約30年間、著書が絶版になっていた。1975年にアリス・ウォーカーに再発見され、ハーレム・ルネサンスの代表的作家として再評価されることになった。
代表作は1937年の『彼らの目は神を見ていた』。 |

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寛容の精神は我々すべてを兄弟にする。不寛容の精神は人間を野獣にする |
ヴォルテール |
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1694年〜1778年。フランスの哲学者、文学者、歴史家。ジョン・ロックなどとともに啓蒙主義を代表する人物。また百科全書派の一人として活躍。反ローマ・カトリック、反権力の精力的な執筆活動や発言により、18世紀的自由主義の一つの象徴とみなされた。著書に『キリスト教の検討』『寛容論』などがある。 |

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ある人に合う靴も、別の人には窮屈である。誰にでも適用できる人生の秘訣などない |
カール・ユング |
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1875年〜1961年。スイスの精神科医・心理学者。少年期から己の内面に深い注意を向け、善と悪、神と人間についての思索に没頭する。大学医学部ではブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学を創始した。また、学生時代にゲーテ、カント、ニーチェの著作に感銘を受けた。 |

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私たちはとりわけ、都市の混乱からいくらか離れる必要がある |
マージョリー・キナン・ローリングス |
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1896年〜1953年。アメリカの作家。ワシントンD.C.に生まれる。大学卒業後、作家を志してニューヨークに移り住み結婚。1928年にフロリダ州奥地クロスクリークに74エーカーの土地を購入し移り住み、以後、自然とそこで暮らす人々を題材とした作品を発表する。『子鹿物語』が有名。 |
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行動を起こせ。人は貝になるために創られたのではない |
フランクリン・ルーズベルト |
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1882年〜1945年。第32代アメリカ大統領。世界恐慌時のニューディール政策、第二次世界大戦への参戦、核兵器の開発、日系アメリカ移民の強制収容、アフリカ系アメリカ人の公民権運動に対する妨害政策などを行った。唯一4選された大統領であり、現在でも国民からの支持は強い。 |

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神のできる唯一の弁解は、神が存在しないということだけである |
スタンダール |
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1783年〜1842年。ナポレオン時代に従軍し各地を経験した後、作家として活動。代表作『赤と黒』『パルムの僧院』。個人の野心や恋愛心理、社会との葛藤を鋭く描いた。写実的で心理描写に優れた作風は後の文学に大きな影響を与え、19世紀フランス文学を代表する存在となった。 |

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成功するかどうかは、その人に情熱があるかどうかにかかっている |
広岡 浅子 |
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1849年〜1919年。実業家、社会運動家。女に教育は不要という常識により読書を禁じられるが、17歳で嫁いだ後も独学を続け、20歳で実業界に身を投じる。炭鉱事業などの冒険的事業に乗り出し、狂人扱いされたという。日本女子大学校の発起人の一人。NHK連続テレビ小説『あさが来た』のモデル。 |

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誰にでも締め切りが必要だ。締め切りがなければ気持ちがゆるんでしまう |
ウォルト・ディズニー |
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1901年〜1966年。アメリカ合衆国のアニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、漫画家、実業家。ミッキーマウスをはじめとするキャラクターの生みの親。ディズニーリゾートの創立者。兄と共同で設立したウォルト・ディズニー・カンパニーは数々の倒産、失敗を繰り返すも、350億ドル以上の収入を持つ国際的な大企業に発展した。 |
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人間は誰でも他人の不幸を見過ごせないという素晴らしい心を持っている |
孟子 |
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紀元前372年?〜紀元前289年?。中国戦国時代の儒学者、思想家。儒教(特に朱子学)では孔子に次いで重要な人物とされる。そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。 |
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家で待つだけの女になってはいけない |
ココ・シャネル |
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1883年〜1971年。フランスのファッションデザイナー、企業家。彼女が創設したシャネルブランドは世界有数のファッションブランドとして現在も営業している。
20世紀初頭からファッションデザイナーとして活躍し、一時的な活動停止を経て、その死に至るまで世界の代表的なファッションデザイナーであり続けた。 |
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何をやっても批判する者がいる。多くの困難がたちはだかる。実行するには勇気がいる |
ラルフ・ワルド・エマーソン |
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1803年〜1882年。アメリカの思想家、哲学者、作家。7歳のとき父が他界し、母親に養育された。18歳で大学を卒業し、その後牧師になる。自由信仰のため教会を追われ渡欧。帰国後は個人主義を唱え、米文化の独自性を主張した。33歳で評論'Nature'を発表し、超越主義哲学を世に打ち出した。 |

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人が旅をするのは到着するためではなく、旅行するためである |
ゲーテ |
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1749年〜1832年。ドイツの詩人・小説家。16歳で大学に入り法律・医学などを学んだ。卒業後、詩や小説を書き、名声を得る。中部ドイツ、ワイマル国の宰相を務める一方、文学や自然科学にも専念してドイツ文化に大きな影響を与えた。代表作は「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」など。 |

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私は自分で決めた道を歩きたい。案内人に従うなんて、考えただけでも嫌になる |
エミリー・ブロンテ |
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1818年〜1848年。イギリスの小説家。唯一の長編小説『嵐が丘』を書いた。この作品は当初酷評されたが、没後に評価が高まった。ほかに姉、妹と共に出した『詩集』が評価されている。 |

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私は実業家の中に名をつらねながら、大金持ちになるのは悪いことだと考えている |
渋沢 栄一 |
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1840年〜1931年。実業家、慈善家。豪農から幕臣に取り立てられ、ヨーロッパ各国を訪問。明治政府では大蔵官僚。退官後は実業家に転じ、多種多様な会社の設立に関わった。2024年より新一万円札の顔。また2021年に渋沢を主人公としたNHK大河ドラマ『青天を衝け』が放送された。
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諦めは日常的な自殺である |
オノレ・ド・バルザック |
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1799年〜1850年。19世紀のフランスを代表する小説家。母親に愛されず、乳母や寄宿学校に預けられ孤独な少年時代を送った。90篇の長編・短編からなる写実的小説群『人間喜劇』の外『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』『農民』など多数の作品を執筆した。 |

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人生は胸躍るもの。そしてもっともワクワクするのは、人の為に生きるとき |
ヘレン・ケラー |
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1880年〜1968年。アメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家。 視覚と聴覚の重複障害者。アン・サリヴァンの努力もあって障害を乗り越え、世界各地を歴訪して障害者の教育・福祉の発展に尽くした。男女同権論者、人種差別反対論者であり、過酷な若年労働や死刑制度、第一次世界大戦の殺戮にも反対した。 |

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法的には他人の権利を侵害すると罰せられる。道義的には侵害することを考えるだけで罪である |
カント |
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1724年〜1804年。プロイセン王国(ドイツ)の哲学者。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱した。ドイツ観念論哲学の祖とされる。彼が定めた超越論哲学の枠組みは、以後の西洋哲学全体に強い影響を及ぼしている。 |

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人は他人に迷惑をかけない範囲で自由である |
福澤 諭吉 |
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1835年〜1901年。啓蒙思想家、教育者。緒方洪庵に蘭学を学び、渡米・渡欧し『西洋事情』で欧米文明を紹介する。また慶應義塾を創設し啓蒙活動を展開、『学問のすゝめ』はベストセラーとなる。また「時事新報」を創刊し幅広く論説を発表した。2004年から発行されている1万円札の顔である。 |

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恋はすぐに冷めてしまうから、暖めたり、揺さぶったりしなくてはいけない |
エディット・ピアフ |
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1915年〜1963年。フランスのシャンソン歌手。フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった。ピアフはパリジャンの俗語で雀を意味する。その悲劇的な生涯を反映した痛切なバラードが印象的で広く知られているが、実は、芝居仕立ての歌や軽快な曲なども歌っておりレパートリーは幅広い。 |

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幸福とは何であるかを知ったら、人の持っている物など羨ましがる必要はない |
プルタルコス |
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46年頃〜127年頃。帝政ローマのギリシア人著述家。アテナイで数学と自然哲学を学び、ギリシャ本土、小アジア、エジプトのアレクサンドリアに赴き、ローマにも度々滞在した。著作活動に熱心で『対比列伝』をはじめ、227もの著作があったと伝えられる。 |

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いまだ軍備と徴兵が国民のために一粒の米、一片の金をだに産するを見ざるなり |
幸徳 秋水 |
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1871年〜1911年。明治時代の社会主義者・無政府主義者。新聞記者として活躍後、社会主義者となり日本社会民主党を創立したが、直ちに政府によって禁止された。32歳で仲間とともに平民社を創立し「平民新聞」を出して日露戦争に反対した。大逆事件で政府の謀略によって死刑となった。 |

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人生航路には、独りで立ち向かわなければならないそれぞれの困難と問題がある |
津田 梅子 |
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1864年〜1929年。女子教育の先駆者。幕臣の家に生まれ、6歳から12年間、また25歳から3年間、アメリカ留学。女子教育の重要性を自覚し「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を開校。身分にとらわれない女子教育を始める。長期の闘病後、64歳で死去。2024年より新五千円札の顔。 |

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知識は悲しみである。多くを知る者は、怖ろしき真実を深く嘆かざるを得ない |
ブレーズ・パスカル |
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1623年〜1662年。フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、発明家、実業家。幼少の頃から天才ぶりを発揮した。圧力の単位、パスカルに名を残している。多数の名文句や有名な思弁がある遺稿集『パンセ』は有名である。 |

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